明治4年(1871) 7月14日、廃藩置県により、広島県が成立すると県庁が広島城本丸に設置されました。12月には、軍隊の施設(鎮西鎮台第一分営)が本丸に設置されたため、県庁は三の丸へ移転しました。
明治6年(1873) 1月には、第一分営が第五軍管広島鎮台と改称され、また 3月には三の丸へ兵営が建設されたため、県庁は、城外へ移転しました。このような動きの中、城内の江戸時代以前の建物は、解体されたり、火災を受けたりして次第に少なくなりました。
その後、城内には、明治8年(1875) 4月には歩兵第十一連隊が設置され、6月には練兵場が設けられるなど、軍事施設の増設が進みました。
明治19年(1886)には、広島鎮台は第五師団と改称され、明治21年(1888)に師団司令部が置かれました。
明治27年(1894)8月、日清戦争が始まると、同年 9月15日には、明治天皇と共に大本営(天皇の本営で戦争時の最高統帥機関)が広島城内に移り、10月15日には広島で臨時帝国議会が召集されました。
広島が大本営に選ばれた理由には、明治22年(1889)に、大型船が利用できる宇品港が開港していたこと、明治27年(1894)6月10日、山陽鉄道が広島まで開通し、同年8月20日には広島と宇品を結ぶ仮設軍用鉄道が開通したことで、軍事輸送が容易になったことが挙げられます。